名字「竿代」

読み方 さおしろ
人数 ごくわずか
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使用漢字竿 /

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名字「竿代」のローマ字表記

読み方外務省ヘボン式ヘボン式訓令式
さおしろsaoshirosaoshirosaosiro

※パスポートは「外務省ヘボン式」で表記されます。(長音表記・非ヘボン式表記・別名併記などの例外を除く)

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竿代さん

鎌倉時代後期から室町時代前期までを生きた公卿の北畠親房が東征をした時、戦いに敗れて逃れた時、霞ケ浦南岸の百姓が船を出して命を助けました。北畠は「お礼をしたいが金がない。お礼の徴に苗字を上げよう」とその百姓に「竿代」(竿を差してくれた代金)という苗字を付けました。それ以来、その家は、霞ケ浦南岸で由緒ある庄屋として続きました。明治時代にはその子孫の竿代文蔵が稲敷郡阿波村沿いの霞ケ浦湖岸50万坪の干拓事業を行い「甘田入り干拓」完成寸前に破産して死去しました。(1955年には、桜川に報徳碑が立てられました。)父の苦しみを見てクリスチャンになった次男靖は、事業に成功しリンレイワックスの創業者となりました。そしてその子供達はプロテスタントのイムマヌエル綜合伝道団の指導者として奉仕しました。そんな興味深い物語が「竿代」家には残っています。

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